私は1993年から2005年まで伊藤忠商事にお世話になりました。元々プラント業界にはあまり興味がなく入社しましたが、会社としては人気がありました。しかし、当時まだ若かった私は、自分の人間力でどうこうできるビジネスではないと感じ、あまり興味が湧かない時期を過ごしていました。そのようなマインドでしたので、3、4年ほどは仕事にも身が入らず、苦労した記憶があります。
そんな中、今思い返すと一番思い出に残っているのは、ある先輩(上司)と喧嘩になり、会社を辞めるか辞めないかという事件があったことです。仕事にも興味が持てず、上司とも合わないということで辞めようと結論付けましたが、当時の部長さんや部長代行の方に話を聞いていただく機会がありました。
その時に、「何をしたいんだ?」と聞かれ、「実感が湧く商売がしたい」と話したところ、「商売なんか何をやっても一緒だ。人間力が発揮できるかどうかは、小さい商売だろうが大きな商売だろうが関係ない。辞めるのは簡単だが、もう少し商売というものをある程度理解した上で辞めても遅くないのではないか」という話を聞かせていただきました。非常に腹に落ちる話だったので、そこで一旦辞めるのを踏みとどまりました。
非常に恥ずかしい話ですが、周りも皆知っていましたし、仕事についても「お前はこれだけやれ」と、今でも覚えているのですが、ちょっとした海外との取引(タックスディールのような仕事)があり、それだけ、つまりファックス1枚だけを数週間、管理部門の方と一緒にやっていくことになりました。周りの先輩や後輩は皆かなり忙しく残業している中で、私だけがその1枚だけを、とにかく100%、誰に文句も言われないくらいにやれと言われ続け、その1枚だけの仕事を1ヶ月続けました。 そうした中で、自分自身も変わったのか、仕事に対して一つのことに注力して責任を持ってやるということが、5年目にしてようやく腹に落ち、やれたというところが、私の中では一つの変わるきっかけになりました。それからは、何かがふっ切れたというか、非常に自信が持てたのか、そこから大きな仕事も徐々にいただけるようになり、プラントの商売自体も本当に面白くなってきました。
その後、アメリカのカンザスに、まだ支店もない中で「アメリカ市場をこれから開拓するんだ」ということで、当時の上司や先輩から「一人で行ってこい」と言われ、知り合いもいない中行きました。そこで、アメリカのエンジニア会社やお客様とのネットワークを作る仕事をさせていただき、私一人でしたが、責任者という形で日本に対しても発信しなければならず、そこで非常に責任感というものを身につけさせていただきました。とにかく自分で開拓しなければ何も始まらないという状況に放り込まれたので、おそらくその時の先輩や上司は、私という人間はどちらかというと皆とやっていると人に頼りながらやるのでうまくいかないだろうということで、こういう人間は一人にさせてやった方がいいという考えもあったみたいです。
それも私にとっては非常に良い経験になりました。その後、アメリカのニューヨークに移り、ある程度仕事をさせていただき、1年半から2年弱ほどいた後、ビジネス機能統合部という部署(今はもうなくなりましたが、機械カンパニーの中にありました)に戻りました。私がアメリカから帰る時は、すごい精鋭が集まるということでかなり不安を感じながら帰ったのを覚えています。2000年に帰り、そこでM&Aや新規事業をやるということで、確かに、皆すごい精鋭が集められていたので、私もかなり気合を入れて仕事をした記憶があります。
当時、新規事業ということだったので、自分の実力も試せるし、どんどんどん出していこうということで、出していきました。私としては逆にチャンスだと思い、当時自分の机にも貼っていましたが、今でも覚えているのですが、リクルートの創業時の標語で皆さんもご存知かもしれませんが、「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ!」という言葉です。それを机に貼って毎日自分でアイデアを何十個も出すという計画を立て、部会で発表するということをずっと繰り返していました。 そうした中で、当時、海外でも環境ビジネスが流行っていましたし、日本でもちょうど土壌汚染対策法という法律が施行されるのに合わせて、土壌汚染調査に保証をつけるというビジネスモデルを開発しました。それが、プロパティ・リスク・ソリューションです。ただこれも、当時の部長が素晴らしかったと思うのですが、私まだこの時32歳だったのですが、言い出したのが私だということもあり、「やるんであれば事業会社の社長をお前がやれ」ということでやらせていただきました。 ただ、ベンチャーでしたので、なかなか、いわゆる商社の間尺に合うビジネスまでは、簡単にはいきませんでした。結局2年ほどで、「これは難しいのではないか。ある意味MBAに行ったみたいなものじゃないか。お前にも勉強になったと思うから早くプラントのビジネスに戻れ」という話もあり、当然周りの人はプラントのビジネスに戻ってくると思っていたのですが、私としては2年間ちょうどやって、色々第三者にも声をかけて入ってもらったというのもあり、何かやっぱり業界に入ってみると思い入れも出てきて、若気の至りで、ほぼ資金もない中で撤退したのですが、私としては引き継いでやろうということで、2005年に同社を辞めてこの会社を引き継ぎました。
当時は本当にまた1から始めるというような状況で、不動産ファンドがアメリカから上陸してきたということもあり、我々は土壌汚染調査だけでなく、建物込みのリスク評価という世界に入っていき、そこで大きな波もあったので、そちらに方向転換し、その波に乗れたということでうまくいきました。あまり横展開できるような事業ではなかったので、最終的には2009年にファンドにエグジットしました。
それから、いくつかまた会社をやりました。森和(しんわ)エナジーという会社なのですが、これも伊藤忠時代の先輩で、元ファーストリテイリングの役員だった森田さんと再会し、ちょうど僕らが海外で電力事業をやっていたので、これから日本も電力事業は自由化されるのではないかという目論見もあり、「まず会社を作ってやってみようか」ということで始めました。森田さんという方は、案件を精緻に仕上げるのが得意で、私はどちらかというと案件を取ってくるとか、色々な繋がりの中で何か引っ張ってくるのが得意なので、ちょうど森田さんからもそういう組み合わせでうまくいくんじゃないかということで始めました。結果として、10か所開発できて今運営しております。
これも伊藤忠時代の先輩で、ジョイフル本田の社長をやられている細谷さんという方がいらっしゃって、彼が早稲田大学の格闘技(極真)出身なので、「 格闘技繋がりで警備会社をやっている人間がいる。ちょっと手伝ってやってくれないか」という話がありました。私は別に格闘技の人間ではないのですが、伊藤忠の先輩の話でもあったので一度お会いさせていただきました。話していくと、格闘技をやられていて、真の意味での人的警備に特化する会社を作りたいということで、非常にビジョンもある人だったので、色々10年間ほど一緒にやっていきました。結果的に、格闘技で培った人的警備や対処の仕方などが、全く10年前は予想もしていなかったのですが、今の高級ブランド(あまり名前は出せないのですが、かなり世界的な高級ブランドグループ)のイベントの警備やドアマンの警備などで、市場占有率ナンバーワンになるような会社になりました。
森和エナジーの開発も落ち着き、警備会社の方も落ち着いてきたので、明和地所株式会社(ご存知の方もいるかもしれませんが、クリオというマンションシリーズで30年ほど前に創業され、今一部上場の会社)のオーナーと親しかったこともあり、社外取締役から入り、結局そのまま4年ほど常勤で、管理本部や流通事業本部の立ち上げなど、色々なことを経験させていただきました。
自分でスタートアップをやってみたり、共同で何かやってみたり、上場会社の役員もやらせていただいた中で、やはりどこに行っても人手が足りない、本当に良い人材が足りないということを実感しました。もう少し大企業と中小・スタートアップと言われる業界が、真の意味で人的な流れができないかということで作ったのが、この株式会社IKIGAIという会社です。私が今51歳で、一緒に共同で創業した者が40代前半、もう1人が30代ということで、3世代で今やっております。 もう一人、皆さんご存知だと思うのですが、川渕さんというJリーグを立ち上げた方にも、アドバイザーに入っていただきました。なぜ川渕さんなのかというと、川渕さんご自身がちょうど51歳まで古河電工の社員で、51歳の時に、これから違う世界で試してみたいということで、サッカー協会の方に大きく足を踏み入れ、結果として、Jリーグの立ち上げやバスケットボール協会の合併などをなさいました。もう84歳の方なのですが、まだまだ現役でアグレッシブにやられている方です。その川渕さんに新型コロナの時にお会いさせていただき、大企業の人材は非常にもったいないという話をさせていただき、非常に賛同いただき、今アドバイザーをやってもらっている
我々が目指しているのは、仕事だけでなく、人生全体、つまりライフの中にワークがあるという考え方です。最終的には、それぞれの人が生きがいを見つけるお手伝いができればと思っています。ただ、今のところは、どちらかというと仕事の方に重きを置きながら事業を進めている状況です。
「プロキャリ」という名前で社会人インターンシップ事業を行っていますが、すでにスキルをお持ちの即戦力の方もいれば、キャリア自体をもう一度新たに作りたいという方もいらっしゃいます。我々としては、異文化、つまり他の企業を見ることは非常に意味があると考えており、短期的にそういった体験を提供する、いわば大人向けのキッザニアのような仕組みを作って事業を始めました。
まさに、大手中堅企業と、有望スタートアップ企業や地方企業との間で、人材交流を促進したいと考えています。地方企業やスタートアップ企業から見れば、大企業の人材のスキルや人脈は非常に価値があります。最近までオープンイノベーションという言葉が流行っていましたが、日本では文化的な背景などもあり、うまくいかない部分もありました。我々としては、会社単位で、安全圏の中で流動化、研修という形で人材が交流する方が、動きやすく、本当の意味での人的交流が生まれるのではないかと考えています。
そのような中で、広島県福山市の市役所の方から、「大企業の人材を福山に呼びたい」という話がありました。それは転職だけでなく、地方企業と大企業の人材が交流することによって、地方企業にとっても刺激になり、大企業の人材にとっても新たな経験になり、キャリアの棚卸しにもなる機会を提供したいというものでした。これもまた、伊藤忠の同期で、今広島県議会議員をやっている出原さんと協業しているところです。